2011年3月24日木曜日

寄付もできない寺

 報道を見ていて思うことがある。タレントやアスリートが義援金呼びかけ等はしているが寺の坊主が義援金を出した報道もないが、呼びかけもない。僕が思うところは「坊主丸儲け」を決め込んでいるのだろう。
 両親の入っている寺で呼びかけをしても誰も信頼して義援金を入れもしないだろうし集まりもしない。なぜか?自分たちが正しいことをしていないし、本山もし義援金を出さないのだから下の者がするはずがない。
 震災後、地元の寺が被災者を受け入れた話は聞いたがこれだけ多数の寺があるのにほぼ全くと言って良いほど何もしない仏教は人の死で稼いでいるからなのだろう。
 僕自身も寺の護摩焚きの時坊主の法話を聞いたとき呆れた。「近くの寺で葬儀があった。うちの寺であればよかったのに」等と話している。つまり、早く檀家は死ね。そうすれば俺達が儲かる。と話しているのだ。呆れて物が言えない。
 こんな坊主ばかりと思われて恥ずかしく無いのが現在の日本の仏教なのだろう。